遠くの街

Play back, PLAY

2015.09.10 , ,

私事で恐縮ですが、本日2015年9月10日をもって、高知へ移住して以来お世話になっていたデザイン事務所を退職いたしました。

今の気持ちとこれまでのこと・これからのことを考えるために、高知に来る少し前までプレイバックして、ここにまとめてみます。

拾ってもらった馬の骨

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3泊4日のひとり移住敢行ツアー

2011年12月初め、東京から夜行バスに乗って5度目の来高を果たした私は、小脇にポートフォリオを抱えていました。「この街で働き、暮らしたい」の思いを胸に、3泊4日で仕事と住居を探そうという弾丸ツアーでした。

その前職では、渋谷の小さなデザイン事務所で雑誌やカタログなど主にエディトリアルデザインを行っていました。専門学校を出てそこに1年半務めただけでしたので、ポートフォリオは学生時と就職後のものが半々といった構成でした。

履歴書よりポートフォリオ+その先

高知市内のいくつかのデザイン会社や派遣会社での面接を経て、最後に飛び込みで面接をしていただいたのが今の会社でした。
印象的だったのは、社長の履歴書・ポートフォリオの見方です。まず履歴書はその場で開きもされませんでした。一方ポートフォリオは、就職後の実制作例だけでなく、学生時の自主制作も含めて丁寧に見てくださいました。経歴やその時点での技量だけでなく、潜在的な伸びしろの部分まで見ていただけたのだと思い、非常に嬉しかったのを覚えています。

その頃の私といえば、高知に一人の親戚も友人もいない、道もわからない、素性も知れない、「どこの馬の骨かわからない」を体現したような状態です。デザイナーとしても半人前の、いわば超リスキーな人材。そんな私を快く迎え入れ、面倒をみてくださったことは、感謝してもしきれません。

会社で経験できたこと

ページ物からグラフィック全般、Webへ

それまで実務ではInDesignを使ったページ物しか経験のなかった私にとって、今の会社での仕事は新しい経験の連続でした。
チラシ、ポスター、パッケージ、パンフレットや小冊子、のぼりや販促物などのあらゆるグラフィックデザインに携わらせていただきました。
最後の1年半には、Webのデザイン・実装を行う機会もいただきました。

必要なものを読み解き、作り上げる醍醐味

また、制作のプロセスについても大きな学びがありました。
以前は編集者さんのイメージを形にする仕事が大半だったのに対し、こちらへ来てからは「完成図」がどこにもない状態から仕事がスタートすることもしばしば。お客様が形にしたい内容を読み解き、編集・再構成して、必要な画像、イラストなどの素材を用意する…
はじめは戸惑う場面も多かったですが、より良いものを作るために手段を尽くすスタッフの皆さんの背中を見て、次第にその醍醐味に取りつかれていきました。

実力も経験も乏しかった私がこんなにも良いお仕事に関わらせていただけたのは、ひとえに会社の懐の深さゆえです。本当にありがとうございました。

なぜ辞めるのか

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まずは身体をととのえる

人にも仕事にも恵まれた会社をなぜ辞めるのか。ありていに言えば、病気理由ということになります。
2013年の春にうつ病と診断されて以来、長期休職や時短勤務、入院による再休職…と、会社にはこれまで最大限の処置をはかっていただきました。自分でも、自宅で職場で、考え付く限りの策を尽くしてきました。(その過程で得てきたことを共有しようという試みが「とぼとぼくん」シリーズです。)

WHO is とぼとぼくん?
in とぼとぼくん

しかし未だ体調の波はおさまらず、これまでの経過から考えても、会社で求められる働き方を続けることは難しいという結論に至りました。また、会社に貢献するどころか足を引っ張るような形で在籍し続けながら回復していくことにも限界を感じていました。
現状で考えうる次の最良の一手が今回の退職という形になりました。
今後まずは療養につとめ、全ての基盤たる心身の健康をととのえていきたいと思います。

世の中に さらぬ別れのなくもがな

迷惑をかけるばかりで、ご恩返しもほとんど出来ないまま退職に至り、本当はとても悲しく、つらく、情けない思いでいっぱいです。しかし、まだ踏ん張ることが出来たかというと、今の私にはこれ以上はできないと感じています。
そんなことを考えていた時に飛び込んできたのが、ヒビノケイコさんの「あたたかい別れ」と題した記事です。

「あたたかい別れ」仕事・恋愛の喪失とリセット。自分でもう一度立つための時期

死なずさえいれば、いつか何かの形で恩返しできる機会がめぐってくる。そう信じながら、今は静かに目の前のことに向かっていこうと思います。

南風に乗って

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それでも高知へ来て良かった

会社を辞めることを告げた友人からは、しばしば「高知には残るの?」と尋ねられました。
何の疑いもなく高知に住み続けたいと思っていましたが、そういう視点もあるなと思い、先日1冊のノートを持って少し遅い夏の帰省をしてきました。

高知と本州を結ぶ列車「南風」の美しい車窓を眺めつつ、手元のノート_移住前の半年間につけていた手作りの手帳を繰ります。

引っ越しまでのスケジュールや高知に住んだらやりたいこと、お金の出入り、理想の物件・仕事、1年・5年・10年後の姿などなど…
振り返ってみると、その頃描いていた夢がたくさん叶っていることに気づきました。
そして、ずっと願っていることは変わっていませんでした。

病気になってしまったことは想定外でしたが、東京にいた当時を思い返すと、遅かれ早かれ、あるいはもっと悪い状況で不調は現れたのだと思います。
でも、それ以外は私の高知暮らしもなかなか順調じゃないか、そんな風に思えました。

人間交差点 terzo tempoにかえる夕暮れ

高知へ戻って退職の手続きと片付けを終えた日、久しぶりに terzo tempo へ立ち寄りました。新しい店員さんがいることに驚きつつ、この夏初めてのかき氷を注文しました。

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夢のように美味しいかき氷を頬張っていると、次から次へとお客さんがやって来ます。ピクルス屋いく農園ご夫婦に、園部信教ご一家(3ヶ月の赤ちゃんと!)、噂の美少女くるみちゃん(大泣き)、そして具合が悪いと聞いていた「おばちゃん」がまたやって来たではありませんか! 以前より痩せているものの、馴染みのお客さんと大きな声でたくさんお話している姿にほっと胸をなで下ろしました。

2009年、初めて高知を訪れた9月の夕方、terzo tempoに寄っていなかったら私が高知へ移住することはなかったと思います。
時が巡って同じ場所で、新しい命がやって来たり、病気をしながらもまた美味しい時間を過ごし、それぞれの日常へ戻って行く。そんな人間交差点の傍らに座っていると、クタクタだった心身が氷と一緒に溶けていくような気がしました。

もっとあいだをつなぎたい。最小単位からの再スタート

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さて、再び何者でもなくなった私。
かつてのようにバリバリ働くことはまだ出来ませんが、自分の責任でできることから、少しずつ始めていこうと思います(とぼとぼくん とも上手くつきあいながら)。

デザイナーという枠にとらわれず、これまでやってきたこと・これからやっていきたいこと、つくる・くらす・ととのえる、自分の中にあるいろんな面をつなぎながら、より良い生き方を探していきます。

胸を張って心をひらいて、今いる場所で自分にできることから。

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という訳で、高知のみなさま、日本全国・世界各国のみなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ご都合のつく方は、ぜひこの機会にゆっくりとご挨拶&お話しさせてください!

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