とぼとぼくん

シーソーゲーム

2015.07.13

6月からどうも、とぼとぼくんが元気というか、体調が思わしくありません。
ずっと具合が悪いのではなく、良くなってまた悪くなって…の波が激しく、良くなりきらないのです。体調に波があるのは今に始まったことではなく、かれこれ1年以上こんな状態を延々と繰り返しています。

波を繰り返しながら、少しずつ快方へ向かっていると思いたいのですが、ときどき、これは終わらないシーソーゲームなんじゃないかと感じます。

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何にもできない、全てが下がっていた状態が
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ちょっと元気になってくると
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できることがうれしくて
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もっと! もっと!! あれ、あれ、止まれない……!
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どかーん
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またやっちゃった

良いときはすごく良い/悪いときは毎回最悪

冒頭にも書いた通り、ずっと体調が悪い訳ではないのです。
具合の良いときは、病前よりも良いかもというくらい好調な日が続きます。朝はスッキリぱちっと目覚めて、午前中からトップスピード。溜まっていた家事や仕事もサクサク片付くし、新しく習得したこともぐんぐん血肉となり腕をふるうことができます。
良いときだけ見れば、私なりに前に進めていると感じられます。

しかし好調も長くは続かず、だんだんブレーキが壊れた自転車で坂道を下っていくような感覚に陥ります。苦しい、おかしい、でも止まれない、いやまだ行ける……行き着く先は毎回どん底です。
具合の悪いときは本当に無能です。全身がくまなく痛み、指一本、思考1mm動かす気力もなくなります。洗濯物も出すべきゴミも溜まり、髪の毛ばかりが抜けていきます。

プラスもマイナスも、行き過ぎる手前で一歩引けるようなバランス感覚を身につければ、あるいはこのシーソーから降りられるのかもしれません。

「またか」地獄

体調が悪いのもしんどいですが、何よりつらいのは「またか」です。

今度こそ大丈夫と信じるからこそ再起できようものの、その度くじかれるのではたまったものじゃありません。もう無理だと投げ出したくもなります。

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賽の河原と違うのは積み上げた塔を壊すのが自分だということ。石にダイブすればその度傷つくのです。

それに「またか」と思うのは自分だけでなく、周りの人もそうでしょう。それを感じてさらに情けなくなります。
あんなに元気そうだったのに、元気なときなら出来るのに…良いときが好調であるほど、その落差に打ちのめされます。「またか」にはうんざりするけれど、具合の悪さに慣れることはなく、落胆は毎回鮮やかで痛烈です。

では、再び悪くならないように、あるいは落差を抑えるために、調子の良い時にもセーブして大人しく慎ましやかに生きていけば良いのでしょうか。

坂口恭平『躁鬱日記』

良いと悪いを行ったり来たりという点で思い出されるのが、坂口恭平さんの『躁鬱日記』です。

鬱期の彼の日記は悲痛で陳腐で陰鬱で、鬱が明けるのをひたすら歯を食いしばって耐えて待つ様子が感じられます。
そして躁期となると途端に饒舌になり、頭の回転にタイピングが追い付いていない様子がありありと分かります。生きる喜び・生のエネルギーが、スリリングなほど文章の端々にほとばしっています。

双極性障害(躁鬱病)の躁状態とは単なる絶好調ではなく、社会生活に支障が生じるまでの逸脱行為に及んでしまう患者さんも少なくありません。
そんな中、坂口氏は有り余るエネルギーと能力(万能感)を執筆活動に注ぎ込むことで、唯一無二の爆発的な創造を可能にしています。

僕は治ることは諦めて、「坂口恭平」を操縦することにした。
坂口恭平 躁鬱日記 帯より

本の表紙には坂口一家が乗った飛行機を彼が操縦しているイラストが描かれています。

読んでいて感じたのは、飛行機の操縦というよりも、ハンドルのないジェットコースターを家族4人の身体感覚で乗りこなしているというイメージでした。猛スピードで進むトロッコを、家族一丸となって体当たりで軌道に乗せていく感じです。

坂口恭平さんは、躁鬱をそのまま生きる術と覚悟、強さ=家族を手に入れた「冴えない天才」なのだと感じました。
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この本を読んでいた途中のつぶやきです。

そして読み終わって思うのは、病前の「正常な自分」に戻れたとして、彼は戻りたいと思うだろうか。戻ったとして、それは彼自身なのだろうか、ということです。

I’ll manage with とぼとぼくん

manage には、管理する、経営する、取り扱うといった意味の他に「あるものでなんとかうまくやっていく」というニュアンスの意味があります。

悪くなることを恐れて、しおらしく騙し騙しやっていくのも、それはそれでつらいものがあります。
私は躁鬱病ではありませんし、坂口さんのようなずばぬけた才能もありません。
けれど願わくば、自分の身体となんとかつきあいながら、十全に生きていきたいと思います。マイナスもなければプラスもない停滞よりは、前進を望みます。

そのためにまずは今ある不調を清算し、できることから、倒れない程度の全力でやっていこうと思います。
そして自分で責任のとれるマイペースな生き方・働き方、すなわち覚悟の決め方を探っていくつもりです。

参考リンク

poppy今回ご紹介した『坂口恭平 躁鬱日記』のあとがき全文(!)を出版社・医学書院のサイトで読むことができます。
あとがき「鬱の花とクレオール」

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