とぼとぼくん

ようじょうくんと気

2015.07.25

とぼとぼくん「からだもあたまもうごかない…エネルギーが全部なくなっちゃったみたいなんだ…」

ずいぶん具合が悪そうなとぼとぼくん。声を出すパワーも残っていないようです。
ようじょうくん「それは“気”ちゅうてな、人間が生きるのに一番だいじなもんやで」

おや、新しい子が出てきました。
ようじょうくん「ぼくはようじょうくん。ぼくのお父さんは江戸時代のベストセラー『養生訓』を書いた貝原益軒いうんや。お父さんの言うこと聞いたら、とぼとぼくんもきっと良うなるで」
とぼとぼくん「……」

とぼとぼくんに聞こえているかはわかりませんが、今日は新しいともだち「ようじょうくん」と、彼が大事にしている「気」についてお話したいと思います。

貝原益軒『養生訓』

貝原益軒の『養生訓』(1713年)は人の養生、つまり健康の維持・増進のための考え方と実践方法がまとめられた市民のための健康指南書です。
その内容は食事のとり方、運動や休息、睡眠のとり方、お風呂の入り方、医者の選び方、老後の過ごし方と生活全般・多岐にわたっています。

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著者の益軒は医師ではなく、実際の医療に携わった経験はありませんでした。しかし古今の医学書に学び、自らが実践し経験したことも交えて、84歳のときに『養生訓』を完成させました。江戸時代の84歳というのは当時ではまれにみる超・長寿です。益軒は人生の集大成として、人々に健康に長生きする術を伝えるために『養生訓』を書き上げたのです。

時代を超えた真理と知恵

300年以上前に書かれた『養生訓』ですので、現代には少しそぐわない部分もあります。それでも日本人の生活経験にもとづいて書かれた養生訓には、病気予防に役立つ多くの知恵と、健康維持の真理がたくさん詰まっています。

「バランスの良い食事を腹八分目にとる」
「適度な運動を習慣化する」
「ストレスとうまく付き合い、心穏やかに過ごす」

などなど、言われてみれば当たり前のことですが、それがなかなかできないのが現代生活ともいえます。生活習慣病が大きな健康問題になる今だからこそ、養生訓の言葉に耳を傾けるべきなのかもしれません。

見えないけれど確かにある“気”という存在

身体のなかの“気”と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。

元気の気? 気合いの気?
ドラゴンボールのかめはめ波や元気玉を作るもの?
何だかあやしいスピリチュアル的なもの?

とぼとぼくんの症状で一番つらいのは、この「気」がなくなってしまうことです。
気力がないというと怠け者のようですが、この症状は深刻で、身体を動かすことも思考を進めることも極めて困難になります。側から見れば「気合が足らん!」と叱咤したくなるかもしれませんが、気合を出す気力もない、スマホに例えるなら起動する電力すらない状態です。

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渾身の力をふりしぼって右足出して左足を出すとぼとぼくん

とぼとぼくんの由来である「とぼとぼ歩き」はこのとき生まれたものです。
右足出して左足出すと歩ける〜、というのを全身全霊で意識しないと止まってしまうのです。いつもはテクテク歩いて通っていた病院まで頑張っても頑張っても辿り着かず、号泣しながら待合室になだれ込んだのも苦い思い出です。

歩くための骨や筋肉など、身体の機能的には何ら問題はないのに、それを支える根本的な何かがなくなってしまった状態。健康なときには気にも留めなかった「気」の存在にはじめて気づいた瞬間でした。

ようじょうくん的「病は“気”から」

「病は気から」と言いますが、『養生訓』あるいは東洋医学的な「気のせい」は、普段私たちが口にするものとは少しニュアンスが違います。

百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。
『養生訓』巻第二 47 より抜粋

現代語訳
あらゆる病は全て気から生じるもので、病気とは文字どおり気が病むことです。そのため、養生の道では気を整えることが大切です。
身体を構成する「気・血・水」
身体を構成する三大要素

ここでいう「気」とは東洋医学独特の概念で、生命活動のエネルギーとか、生気、生きる力、心身の活力の源として捉えられるものです。

つまり東洋医学でいう「気のせい」「病は気から」とは、ただの思い過ごしや考え方の問題ではなく、人間を構成する一大要素である「気」に問題が生じて心身の病が起こるということなのです。

西洋医学でいえば、自律神経系のはたらきがこれに近いという説もあります。
しかしかつて「気」を失くしていた身からすれば、それだけでは説明しきれないものがあると感じていました。目に見えない、数値化できないけれど、確かに自分の身体の中で起こっている、この現象は何なのか。
東洋医学の「気」という考え方に出会ったとき、ついにそれを説明してくれるものを見つけた!と興奮したのを覚えています。

“気”は有限のもの

人は生まれながらにして気を持っていますが、生きていくうちに少しずつ使い、気を使い切ったときに往生すると言われています。『養生訓』でも以下のように説かれています。

人、毎日昼夜の間、元気を養ふ事と元気をそこなふ事との、二の多少をくらべ見るべし。もし養ふ事はすくなく、そこなふ事多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしいまゝにするは、あやうし。
『養生訓』巻第二 13 より抜粋

現代語訳
日々の生活の中で、元気を養うことと消耗すること、どちらが多いか比べてみましょう。
もし元気を養うことが少なく、消耗することの方が多い日が長く続けば、元気が減って病気になり、ついには死にいたります。
気は限りあるものだから、尽きない欲のおもむくままにしてはいけません。

耳の痛い言葉だと思います。
頑張って働いて働いて、身体が悲鳴を上げているのも無視して自分をいたわることなく働き続ければ、やがて「気」が枯渇して病気になってしまいます。「気」が失くなり、身体も頭も心も動かせなかった状態はまさに、ほとんど死に向かっていたのだと思います。

大事な“気”を養うために

それでは、この大切な「気」を養うためにはどうすれば良いのでしょうか。

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活動し過ぎず休み過ぎず、静と動のバランスが大事。

養生の害二あり。元気をへらす一なり。元気を滞らしむる二也。
飲食、色慾、労働を過せば、元気やぶれてへる。飲食、安逸、睡眠を過せば、滞りてふさがる。
『養生訓』巻第一 13 より

養生をよくする人は、常に元気を惜しみてへらさず。静にしては元気をたもち、動いては元気をめぐらす。動静其時を失はず、是気を養ふの道なり。
『養生訓』巻第二 44 より抜粋

現代語訳
養生の邪魔をするものが2つあります。ひとつは元気を減らすこと、もうひとつは元気を滞らせることです。
飲食・色欲・労働が過剰になれば、元気が消耗して減ってしまいます。また飲食・娯楽・睡眠が多すぎても、元気が滞って気がふさがってしまいます。

養生をよくする人は、常に元気を大切にして減らさないようにしています。安静にして元気を保ち、動く時には動いて元気をめぐらせます。
動くべき時と休むべき時をみきわめ、適切に行うことが気を養う道なのです。

『養生訓』では、気を消耗して減らさないことだけではなく、全身にめぐらせることの重要性が繰り返し説かれています。
日中は過不足なく活動し、夜は静かに休んで気力・体力を養う。気の循環と養生、健康に生きるためにはどちらが過ぎても欠けてもいけないのですね。

みんなのようじょうくん

気を大切にしていることの他に、『養生訓』にはもうひとつ素敵なところがあります。
それは、具合の悪い人だけでなく、病気の手前の人・健康な人にも効果的なことです。普段から養生法を取り入れて実践していくことで、本来備わっている自然治癒力が増し、病気にかかりにくく、治りやすい身体になるというのです。

病気を治すこと・自分の身体をよくすることを、薬や手術といった「医療」に任せっきりにせず、毎日の生活に取り入れられることでアプローチする。これはまさに、私が「とぼとぼくん」を通して考えたいことでもあります。

そんなわけで、新しいともだち「ようじょうくん」。
みなさんもぜひ仲良くしてくださいね。

ようじょうくん「ほなまたね〜」

参考書籍・リンク

東洋医学と西洋医学の違い|大翔

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